西武の松坂投手のポステイングでボストンのレッド
ソックスが60億円で落札した。あまりの額に驚いた。
26歳という年齢であればこのさき10年以上は働け
るし、WBCでの実力を評価すればありうる金額なの
かもしれないが、実のところはヤンキースに取られた
くないという切迫した事情が大きく「上乗せ」させたの
ではなかろうか。
日本のプロ野球が大リーグの傘下になってしまう
ので、選手流失に反対という声もあるが、これは自然
の流れだし、本場でプレーしたい気持を抑えつけて
やらせてそれを見ていても面白くない。
いったり、来たりでだんだん日本の水準も上がると
思い、長い目で見てあげたいものだ。
パリの2日目、いままでと打って変わって涼しく薄
曇りの日となり、久しぶりのルーブルを訪れた。
8月10日(木) パリ・ルーブル博物館
今から20年前、大学生協勤務の頃、ルーブル博物館を訪れたことがある。その時、パリに来たのはヨーロッパの大学の食堂のシステムを調査し、日本の学食の改革に役立てようという仕事の一環であった。初めにアメリカの大学食堂を調べ、すぐれた適温提供やキッチンの衛生管理システム、さらに利用者のニーズに対応するカフェテリア方式を把握することができ、多くの日本の大学に取り入れることができた。
その流れのなかで、ヨーロッパの大学食堂も調査をしたわけである。パリの大学もカフェテリア方式であり、基本的にアメリカのそれと変わらないが、経済力を反映してか、やや質素という感じがいなめなかった。
さて、2度目のルーブルを訪れるために地下鉄リパブリカ駅からローヤル・ミュセ・ド・ルーブル駅に向かう。前回の訪問の時に建設中だった中庭のガラスのピラミッドが完成しており、ルーブル博物館の入り口として機能していた。ピラミッドに入り、エスカレーターで地下にくだり、キップを買い、建物に入る。
ルーブル博物館はルイ14世がヴェルサイユに王宮を移すまでの間、ヨーロッパに権勢を誇ったフランス王朝の王宮であった。その後の大革命のあと、1793年に王室の宝物を飾る美術館となり、さらにその後、1798年のナポレオンのエジプト遠征などで財宝は飛躍的に増加し、展示スペースが足りない状況が現在も続いている。
1981年にはミッテラン大統領が展示スペース拡大のための計画を発表し、リシュリュウ翼やデウノン翼を作ったり、例のピラミッドをつくったりし、現在もまだ一部建設中なのだ。
ここでのお目当てはニケ女神とミロのヴィーナス、そしてモナリザである。
サラモトケのニケ女神
写真のニケ女神が作られたのは紀元前6世紀頃といわれ、サラモトケ島で発掘されたものである。100片以上の塊りをつなぎ合わせていまの形になったという。ギリシア神話では軍さの勝利の女神であり、パルンテノン神殿のアテナイ神の手のひらの上にも載っていたという。
この写真のニケは船のへさきに飾られていたのではないかといわれている。おおらかに翼を広げ、海原をすすむ姿はさぞかし美しかったであろう。
ちなみにニケは英語ではNIKEで、アメリカのスポーツシューズメーカーの名である。
そしてナイキのマークは翼をデザイン化したものである。
ミロのヴィーナス
ミロス島で発見されたのでこの名がついたギリシア神話のアフロデイテである。紀元前130年ころの作といわれ、発見した農夫はトルコの占領者の目を恐れ、隠していたがやがて発見され没収された。その後、フランス海軍提督がその価値を認め、買い取らせたのちルイ18世に寄贈した。それをさらにルーブルの展示し、今にいたっている。
それにしても美しい。完全な美がここにある。
モナ・リザ
こんな遠くからしかモナリザの写真を撮れなかったのは、撮影禁止が徹底されていたからである。前回は撮影は自由であった。たぶん、鑑賞の邪魔になるからという理由であるだろう。ミロのヴィーナスも一応は禁止であるのだが、撮っていても注意はされない。しかし、ここはルーブルの目玉商品であり、多くの人が集中しているので特別なのかもしれない。
モナリザをめぐるナゾについては山ほどあるし、その回答はその何倍もあるわけだが、結局永遠にとけない。だからこそナゾの微笑といわれる名画なのである。
ルーブルには3日間いても見たりないほどのお宝があるのだが、こちらにそれを見る時間がない。残念だが、次回ゆっくりとみることとしてシャンゼリゼ通りへと向かった。