(61)フランス パリ④

 今、農水省は海外の日本食レストランにお墨付き
を与える制度を発足させようとしている。日本食を看
板にしていても提供する料理が、日本人には受け
入れられないほど違和感があるものが多く、正しい
日本食を普及させていこうというものだそうだ。
 しかし、もう一つの狙いは海外への日本の食材料
の輸出促進にあるという。したがって、認証基準の
ひとつに「日本の食材の利用」という項目がある。
 まだ日本食材の割合などは検討段階だが、カナ
ダでよく食べていた日本人が経営する寿司屋さんで
も3割程度で、中国や韓国人のそれでは1割にも満
たないと言っていた。
 また自分の経験でも、パリで食べた中国人経営の
寿司店のほうが、日本人経営のそれよりおいしかっ
たこともあり、要はおいしければいいのであって、食
材はあまり関係ないのではないか。
 さらに、地元の人々が喜べばいいのであって、
日本人が海外で無理して日本食を食べる必要もない。
 おいしい日本食が食べたきゃ日本で食べよと言い
たい。

  8月11日(木)パリ・セーヌ沿いに歩く
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 パリといえばセーヌ川、パリ市内を大きく蛇行しながら観光船を走らせ、川沿いの散歩道では
恋人達が散策を楽しむ ・・・こういった風景が目に浮かぶ。
 セーヌ川の中州にあるシテ島はパリ発祥の地といわれる。紀元前、ローマ帝国全盛のころ、この地を平定したカエサルはシテに住む人々をパリシイと呼び、これがパリの起源になったという。中州は自然の要塞でもあったのだろう。
 さて、狭いシテ島に暮らす人々は互いに生活上のルールを定め、それを守り合うようになっていったのだが、それがシテイズン(市民)の語源になったといわれる。
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 さて、ルーブルを出てシャンゼリゼに向かうとまずチュイルリー公園がある。
チュイルリー公園の門
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公園の噴水
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 その先にオベリスクが立つコンコルド広場がある。このオベリスクは紀元前13世紀前にルクソール神殿に建てられたもの。  
コンコルド広場とオベリスク
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 オベリスクには王や神の権威を讃える文字が刻まれ、先端の四角錐の部分には薄い金や銅の板がはめられ、太陽神の光りを反射させる役割を果たしていた。こんな素晴らしい芸術品をエジプトを襲った列強各国は戦利品として持ち帰り、都市の広場に飾ったのだ。
 コンコルド広場のオベリスクはエジプト政府が贈ったものとされているが、誰が自国の宝ものをすすんで手放すであろうか。このコンコルド広場はオベリスクが立つ前、市民革命のときにルイ16世以下1300人が断頭台に登った場所でもある。

 さらにシャンゼリゼ通りへと進むと左手にグラン・パレがある。
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 グラン・パレは大宮殿という意味で、1900年に開かれたパリ万博でメイン会場となったところ。鉄とガラスという20世紀の幕開けにふさわしい新素材とロココのデザインというコンビネーションが面白い。

 ようやくシャンゼリゼ通りに着いた。ここにはランバンやベネトンなどのブランドショップや航空会社、銀行などが立ち並んでいるが、そうしたものとつながりのない私はシーフードのレストランを訪ねた。そこで頼んだシーフードセットがムール貝セットになっていたので、指摘をすると若いウエイターは作り直した上、ワイン代をサービスしてくれた。
 おなかを満杯にして凱旋門へと歩をすすめた。
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 凱旋門はシャルル・ドゴール広場にあり、車が12ある通りを左まわりに回りながら通過する交差点の真ん中にある。門に近づくには2箇所ある入り口から階段を降り、地下道を歩かなければならない。凱旋門を作ったのはナポレオン1世で、フランスの栄光を讃えるためのものだが、結局セント・ヘレナに流され、失意の死を遂げて凱旋門をくぐろうとは思わなかっただろう。
 凱旋門の下には第一次大戦で散った1人の無名戦士の遺体が安置されており、この日も戦争遺族の会が花束を捧げる儀式を行っていた。
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# by kato-world | 2006-11-16 11:40 | フランス

(60)フランス パリ③

 西武の松坂投手のポステイングでボストンのレッド
ソックスが60億円で落札した。あまりの額に驚いた。
 26歳という年齢であればこのさき10年以上は働け
るし、WBCでの実力を評価すればありうる金額なの
かもしれないが、実のところはヤンキースに取られた
くないという切迫した事情が大きく「上乗せ」させたの
ではなかろうか。
 日本のプロ野球が大リーグの傘下になってしまう
ので、選手流失に反対という声もあるが、これは自然
の流れだし、本場でプレーしたい気持を抑えつけて
やらせてそれを見ていても面白くない。
 いったり、来たりでだんだん日本の水準も上がると
思い、長い目で見てあげたいものだ。

 パリの2日目、いままでと打って変わって涼しく薄
曇りの日となり、久しぶりのルーブルを訪れた。

  8月10日(木) パリ・ルーブル博物館

  今から20年前、大学生協勤務の頃、ルーブル博物館を訪れたことがある。その時、パリに来たのはヨーロッパの大学の食堂のシステムを調査し、日本の学食の改革に役立てようという仕事の一環であった。初めにアメリカの大学食堂を調べ、すぐれた適温提供やキッチンの衛生管理システム、さらに利用者のニーズに対応するカフェテリア方式を把握することができ、多くの日本の大学に取り入れることができた。

  その流れのなかで、ヨーロッパの大学食堂も調査をしたわけである。パリの大学もカフェテリア方式であり、基本的にアメリカのそれと変わらないが、経済力を反映してか、やや質素という感じがいなめなかった。

  さて、2度目のルーブルを訪れるために地下鉄リパブリカ駅からローヤル・ミュセ・ド・ルーブル駅に向かう。前回の訪問の時に建設中だった中庭のガラスのピラミッドが完成しており、ルーブル博物館の入り口として機能していた。ピラミッドに入り、エスカレーターで地下にくだり、キップを買い、建物に入る。
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  ルーブル博物館はルイ14世がヴェルサイユに王宮を移すまでの間、ヨーロッパに権勢を誇ったフランス王朝の王宮であった。その後の大革命のあと、1793年に王室の宝物を飾る美術館となり、さらにその後、1798年のナポレオンのエジプト遠征などで財宝は飛躍的に増加し、展示スペースが足りない状況が現在も続いている。
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1981年にはミッテラン大統領が展示スペース拡大のための計画を発表し、リシュリュウ翼やデウノン翼を作ったり、例のピラミッドをつくったりし、現在もまだ一部建設中なのだ。

  ここでのお目当てはニケ女神とミロのヴィーナス、そしてモナリザである。
サラモトケのニケ女神
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  写真のニケ女神が作られたのは紀元前6世紀頃といわれ、サラモトケ島で発掘されたものである。100片以上の塊りをつなぎ合わせていまの形になったという。ギリシア神話では軍さの勝利の女神であり、パルンテノン神殿のアテナイ神の手のひらの上にも載っていたという。
  この写真のニケは船のへさきに飾られていたのではないかといわれている。おおらかに翼を広げ、海原をすすむ姿はさぞかし美しかったであろう。
  ちなみにニケは英語ではNIKEで、アメリカのスポーツシューズメーカーの名である。
そしてナイキのマークは翼をデザイン化したものである。

ミロのヴィーナス
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   ミロス島で発見されたのでこの名がついたギリシア神話のアフロデイテである。紀元前130年ころの作といわれ、発見した農夫はトルコの占領者の目を恐れ、隠していたがやがて発見され没収された。その後、フランス海軍提督がその価値を認め、買い取らせたのちルイ18世に寄贈した。それをさらにルーブルの展示し、今にいたっている。
   それにしても美しい。完全な美がここにある。

モナ・リザ
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   こんな遠くからしかモナリザの写真を撮れなかったのは、撮影禁止が徹底されていたからである。前回は撮影は自由であった。たぶん、鑑賞の邪魔になるからという理由であるだろう。ミロのヴィーナスも一応は禁止であるのだが、撮っていても注意はされない。しかし、ここはルーブルの目玉商品であり、多くの人が集中しているので特別なのかもしれない。

   モナリザをめぐるナゾについては山ほどあるし、その回答はその何倍もあるわけだが、結局永遠にとけない。だからこそナゾの微笑といわれる名画なのである。
  
    ルーブルには3日間いても見たりないほどのお宝があるのだが、こちらにそれを見る時間がない。残念だが、次回ゆっくりとみることとしてシャンゼリゼ通りへと向かった。
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# by kato-world | 2006-11-15 11:42 | フランス

(59)フランス パリ②

 イジメ問題がとどまるところを知らない。 これまで
問題になった学校の対応はどれも間違っているよう
に思えてならない。第一にしなければならないのは
イジメをやめさせることであり、それにはイジメている
子供への罰を含めた指導がなけれなならない。
 当然、授業のなかでイジメは犯罪であることを教え、
教師と学校がイジメと敢然と立ち向かうことを宣言し、
実行しなければならない。テレビなどで、キャスター
達が、いじめられている子に自殺はするなよといい、
学校には行かなくてもいいからなどと言っていてもな
んの解決にはならない。
 学校に行かなくてもいいのはイジメている方の子で
あるべきで、なぜ被害者が授業を受けられないのか。
 ノルウエイでもイジメはあるようで、学校が把握した
場合、イジメッ子にペナルテイが科せられる。当然の
ことで、それも公開でその子は周囲に恥をかくことで、
2度とイジメをしなくなるという。
 文科省もイジメの件数把握ではなく、イジメを解決
した件数を把握し、多いほど立派な教育をしていると
評価すべきだろう。

 さて、雨上がりのヴェルサイユ宮殿に入ってみると。


  8月9日(水) ヴェルサイユ宮殿・その2
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  宮殿は広大な石畳の広場を入り口にもっていた。門は鉄製で美しい化粧を施しており、太陽王といわれたルイ14世の騎馬像が迎えてくれる。広場は大勢の観光客で賑わっており、子供と一緒の家族が多い。宮殿の中は英語のフォンガイドが無料で借りられ、たくさんの絵画、家具、シャンデリアで飾られた王家の部屋を順に見て回った。
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  たしかにスゴイことはすごいのだが、ドイツのハプスブルグ家の王宮、イタリアのメデイチ家、そしてスペインの王宮などで、たくさんのお宝を見てきてしまっているので、特別の感激というものは申し訳ないが出てこない。ただ、庭園を含めた規模ということになると一番であろう。
  また、鏡の間では中央のシャンデリアをより美しくみせようとしているのか、天井部からカバーをかけ、シャンデリアの光りを際立たせようとしていた。これは余計なことであり、元のまま見せるべきであろう。
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  17世紀の頃はこうした宮殿にはトイレが少なく、大勢の客は持参のオマルを活用したそうだ。お付きの従者が落とされたものを庭園の茂みに捨てるので、翌日の掃除がたいへんであったという記録が残されているという。実はこんにちでもヴェルサイユ宮殿のトイレはおそろしく少なく、私の観察ではたった1箇所だ。下がその写真だが、行列ができ、1時間待つことは覚悟しなければならない。
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  なぜ、簡易トイレを設置しないのだろうか?とにかく、ヨーロッパでは客を並ばせることをなんとも思っていないという証拠写真である。

  私が立派だと思うのは庭園と噴水、運河である。宮殿のできる前は父親の狩猟用の館があるだけの沼地だったそうだが、セーヌ川から水を引き、これほどの広大な庭園を造ったというのはスゴイ。工事中の毎日は荷車いっぱいの死者がでたそうだが・・・。
  こうした、無駄なものをつくったおかげで市民革命がおき、自由の国フランスができるわけだからまったくの無駄ではなかったのかもしれない。
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# by kato-world | 2006-11-14 13:49 | フランス

(58)フランス ヴェルサイユ①

  土曜、日曜と千葉の白子に出かけた。寺子屋テニ
スクラブというサークルの合宿に参加したのだが、以
前は長く板頭(いたがしら)を貼っていた男子シングル
スの1位の座も優秀な若い人に奪われ、準がついて
1年がたってしまった。おまけに五十肩で腕が上がら
ず、これからはダブルスに活路を見出すしかないのか
もしれない。
 泣く子と地頭と年には勝てない・・・。

  8月9日(水) パリ・ヴェルサイユ その①

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   マドリッドからの夜行列車は国境の山岳部を越えるときずいぶん揺れたが、旅の疲れも手伝って熟睡できた。同部屋のブラジル人兄弟と一緒に配給の朝ごはん(パンとコーヒー)を食べてパリ到着を待った。午前6時20分、パリ・オステルリッツ駅に到着。

   さっそくガイドブックにある駅のインフォメーションを訪ねてみる。しかし、なぜかインフォメーションのピクトグラム(絵文字)を追っていくと、列車の予約セクションにたどり着いた。パリで3晩泊まったあとにルクセンブルグに行くのでその予約をここで済ませることにした。
 しかし、受付係のおばさんは親切にも宿も紹介するという。これは便利だ、宿も紹介するのでインフォメーションと名乗っているのかと思ったが、値段を聞くと最低で1晩100ユーロという。そして空きのあるホテルを探し、3晩で手数料込み360ユーロとのたまう。

 そんなの無理。私の宿は30~40ユーロと言うと、とたんに態度が変わり、パリではそんな料金では無理ですよという。私は、そうでしょうね。自分で探してみますよといい、いつものとおり自力発掘を目指すことにした。だいたい、こちらで親切にしてくれるときはお金がからんでいるときさ。パリには世界中からたくさんの御のぼりさんがやってくる。パリ国鉄も利益確保のために宿紹介を始めたのだろう。

 3日後にルクセンブルグに行く列車は東駅(ガレ・デ・エスト)から出るので、ホテルはそのそばに確保したく、メトロで2つ目のリパブリカ駅に向かい宿探しを始めた。実はさきほどの駅で韓国人の旅行者と宿の情報交換をした際、リパブリカ駅周辺が安いという情報を得ていたのである。
 なにごとも旅行者相互の情報ほど助かるものはない。

 リパブリカ駅は5本の地下鉄が交差しているので、パリのどこに行くのにも便利だ。この駅から徒歩3分の2つ星ホテルがすぐ見つかった。料金は59ユーロとチョイ高だが、花のパリで宿の苦労はしたくないし、立地を考えるとコレで良しである。

  晴れ男とヴェルサイユ
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   2006年夏、これまでのヨーロッパはほんとうに暑い日がつづき、ローマではコロッセオで意識が薄れるほどであった。しかし、日本のように湿度があったらきっと死んでしまっていただろう。
  どれほど前であったか、ヨーロッパで猛暑のため死者多数という夏があった。今年もそれに近かったのではないだろうか。
  
   というわけで、私がヴェルサイユに行くというと、誰もが気をつけてねと言った。誰もがというのはユースの旅仲間であったり、レストランや飲み屋さんで知り合った人々である。ヴェルサイユの庭は日陰がなく、熱射病で倒れる人が多いのだそうだ。

   さて、パリ到着のこの日、朝からどんよりとした曇り空。太陽は隠れたまま。シメタ、今日の内に行ってしまおうと郊外急行線が出るインヴァリデス駅に行く。ここはメトロで行けるのだが、郊外急行線はメトロからの乗り越し清算ができず、いったん降りてヴェルサイユまでの正規切符を買う必要がある・・・とガイドブックに書いてある。
   10年前の発行なので今は変わっているかもしれないが、一応そのとおりにした。

   曇っていた空から雨つぶが落ちてきて列車の窓を濡らす。30分ほどでヴェルサイユ駅に着いたが雨脚はますます速くなっていた。私は晴れ男なのだが、今日の場合、曇りがベストであって、雨はいけません雨は・・・。傘も置いてきてしまったし。

   駅の改札口で、ヴェルサイユ宮殿から戻ってきた日本人のお嬢さん2人組に宮殿への行き方を聞いていると、なんと雨がやんだではないか。宮殿はこの国鉄駅から徒歩7分ほど。雨上がりの美しい並木道を気持よく歩くことができた。私はやっぱり晴れ男かも。
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# by kato-world | 2006-11-13 11:28 | フランス

(57)スペイン マドリッド⑦

 北海道の佐呂間町で竜巻が発生し多くの犠牲者
がでた。天災には違いないが、それで済ますには
あまりに悲惨だ。気象をあずかる関係者に期待し
たいのは単なる気象予報だけでなく、人的被害が
予測しうる諸注意を発出してほしいということだ。
 竜巻はなかでも一番予測のむつかしいことだそう
だが、それを目指してほしいし、また行政も建築関
係のかたも今回のできごとを教訓化してほしいもの
だ。

 マドリッドの闘牛場では闘牛士が牛に突き上げら
れてしまっていた・・・。


  8月6日(日) マドリッド・闘牛その2

  そのあとは牛の背中にモリを打ち込む闘牛士のバンデリリエロが登場する。彼らは怒りに燃えた牛を呼び、斜め前に牛に近づきつつ、牛の猛進をわずかにかわし、両手に持ったモリを牛の背に突き立てる。これはかなり危険なワザで、事実、初めのバンデリリエロは牛をかわしそこねて空中に突き上げられてしまった。完全な牛の勝利で地上に落ちた彼は牛に角で突かれ、足で踏まれて動けない。
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  周囲の勢子が慌ててかけつけ、牛の注意をそらし、彼を助けたが相当の大ケガになったことは否定できない。なにしろ私の目の前を数人の係に担がれて行ったのだ。

  代わりのバンデリリエロがなんとか左右3本づつのモリを背中に打ち込むと、ここでまたマタドールが現われ、赤い布で牛を誘う。
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ここからがテレビなどで見る牛とマタドールの戦いである。幾度となく繰り返し、ときにはマタドールの体のまわりを牛がクルクル回るような見事な手さばきがあったりすると、観衆もそれにあわせオーレを連発する。
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  牛は背中を突かれたり、モリを打たれたり、赤布を追いかけてもかわされるだけで、疲れきり次第に動かなくなっていく。そうなるとマタドールはさらに大胆になり、赤布を牛の目の前にさらし、その前を軽やかに歩いたりして、自分の勇気を見せつけている。
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さぞ牛もくやしいであろう。だいたい、牛1頭に対し、人間は十数人がかりで武器を持ち、イザというと壁の内側に逃げ込むのである。

  これ以上は見るほうもつらくなるその時、マタドールはトドメ用のサーベルを持ち出し、牛の2メートルほど前から狙いを定め、最後の牛の突進をかわしながら背中深くサーベルを差し込む。
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このサーベルは牛の内臓まで達し、牛にとって致命傷となる。このあと数度勢子たちを追おうとするが、次第に壁ぎわに追い立てられ、そこで座りこんでしまう。
  そして最後のマタドールの仕事は、牛に落ち着いて成仏するように声をかけ、牛に頭を下げさせ、脳幹の上から短い刃のサーベルを打ちこむことである。これで、カクツと牛が横倒しになり絶命する。
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  人間でいえば「ぼんのくぼ」のところである。ここに脳と体の部位をつなぐ神経が通っているのでこれを寸断されればもう動くことはできない。
  牛が絶妙したのを確認したあと、3頭の馬が牛を引きずって退場していく。
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  1回につき約20~25分を費やし、牛の殺し方の上手な人もヘタな人もいることがわかるのだが、しかし、これはなんなのだろう。スポーツではないし、エンターテイメントといっても、寄ってたかって動物を大勢で殺すショーなどというものは他にないだろうし、伝統芸能のカテゴリーに近いショーというところかもしれない。
  闘牛場では2時間のあいだに5頭の牛が登場し、そしてこの世から消えていった。

 国鉄駅アトーチャのインフォメーションで闘牛の始まる時刻を聞いたとき、受付の若い女性は
「私は闘牛のような野蛮な見せものは好きでないから詳しいことは知らないのよ。となりのトラベル・インフォメーションで聞いたら?」と答えた。そういう人もスペインにはいるのだ。

     
# by kato-world | 2006-11-10 11:47 | スペイン




2006年の夏、ヨーロッパ13カ国の旅行紀です
by kato-world
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