今、書店で日本人をおちょくる世界のジョーク集と
いう本が売れているそうだ。
そのジョークの一つ、難破している船で船長が言う。
アメリカ人には、今飛び込めば英雄になれます。
イギリス人には、紳士と言われますよ。
ドイツ人には規則ですからといい、
イタリア人には女性にもてますよと言った。
そして日本人には、みんな飛び込んでますよ。
もうひとつ、こんなのがある。有能な国際会議の
議長とは、インド人を黙らせ、日本人にしゃべらせる
議長である・・・。
ヨーロッパ駆け巡りもあと10日間を残すのみとな
り、モン・サンミシェルをみたあとは、ルクセンブルグ、
ベルギー、オランダ、デンマーク、スウエーデンとまわ
って帰国する予定である。
8月11日(金)モン・サンミシェル
世界遺産であり、世界中の人々がひとめ見たいと思っている神秘的な光景がモン・サンミシェルであろう。島全体に僧院が建ち、満潮のときは海の上に教会が浮かぶ情景となる。私もヨーロッパ駆け巡りの中で、3本の指に入れた場所であった。
パリから超特急でレンヌ駅へ。そこでバスに乗り換え1時間15分ほどで着く。途中はのんびりしたフランスの田舎町や牧草畑、草を食む牛などが続く。海が見え、尖塔が空を突いているモン・サンミシェルを見つけるのはたいして時間がかからなかった。
バスを降り、入り口のゲートをくぐって驚いた。ものすごい人の波である。
島内の駐車場にある車の多さから推して知るべきであったが、幅4~5メートルほどの参詣道を人が埋め尽くし、両側につづくレストランやみやげ店をのぞきながら歩いている。道は勾配があり、ゆるやかな登り坂となっている。登るもの、降りてくるもの、それらがぶつかりあい、押し合い、へしあいしている。ちょうど、賑やかな神社の初詣のようだ。
しばらく登っていくと行列があり、城のような教会の中にチケット売り場がある。料金は11ユーロと安くない。ここは教会と僧院で成り立っているのだが、イギリスと海を隔てて国境を接しており、イギリス海軍となんども戦い、難攻不落を誇った防御陣地でもあった。
入り口わきには戦利品のイギリス艦の大砲を飾ってあった。
意外なモン・サンミシェルの役割に驚いたが、僧院の建物のなかでもそれを再確認できた。それは異様に分厚い建物の壁である。これなら昔の大砲にもビクともしなかっただろう。
僧院は8世紀から造り始められ、完成をみたのは16世紀という。もとは陸続きであったというが、今は干潟を貫く堤防をわたっていく。しかし、現在は満潮時でも以前のような波に浮かぶ光景が見られなくなってきたため、堤防を橋に切り替える工事をすすめている。
僧院が讃えているのは大天使ミカエルで、セント・ミッシェルはミカエルのこと。ヨーロッパでは人々を悪魔から守るミカエルをまつる教会が多い。僧院の建築様式も古い時代はローマン様式で、その後はフランボワイヤン様式と変わり、回廊を回ったり、テラスをまわると時代による古さの差を感じることができる。
モン・サンミシェルを実際にみたあと、なにか釈然としないものを感じた。それはよく分からないのだが、期待と実感の差かもしれない。もっと神秘的なもの、繊細ななにかを求めていたのだが、コマ-シャライズしたレストランとみやげ屋、古いだけの僧院。なにか、中身がない建物群をみただけの空虚さを感じたのかもしれない。
モン・サンミシェルは遠くから海に浮かぶ姿を見るのが一番なのかもしれない。
テラスから海をみると茫々とした干潟が続き、どんよりした曇り空がにぶく広がっていた。