ヨーロッパ駆け巡り
2007-01-26T13:15:25+09:00
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2006年の夏、ヨーロッパ13カ国の旅行紀です
Excite Blog
ブログ「今日も元気で」「カナダからの手紙」を立ち上げました。
http://katoworld.exblog.jp/4556060/
2007-01-13T22:19:00+09:00
2007-01-26T13:15:25+09:00
2007-01-13T22:19:46+09:00
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スウエーデン
また、以下のブログは文字をクリックしてお入りください。
「今日も元気で」(現在毎日更新中の日記)
「カナダからの手紙」(現在更新中のカナダ滞在記)
「ヨーロッパ駆け巡り」同様によろしくお願いします。
See you soon!!
加藤 寛
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(80)スウエーデン マルメ
http://katoworld.exblog.jp/4370964/
2006-12-13T21:18:00+09:00
2007-01-15T15:29:10+09:00
2006-12-13T21:11:13+09:00
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未分類
いよスウエーデンのマルメ市で終了となる。
ほんとうはストックホルムまで行きたかった。
しかし、購入したユーレイル・パスの有効期限
(2ヶ月)と、スペイン・マドリッドからの帰国便を
21日にしたので、マルメ市が最後の訪問となる。
まったく、年齢もかえりみず、バックパックのヨ
ーロッパ貧乏旅行をよく続けたものだ。
それぞれの国の良いところも悪いところもよく
見えたし、いろいろな場所で親切な人々のお世
話になった。
ヨーロッパを回ったことで、日本や日本人を
あらためて見直すこともできた。紀行文の編集
が終わったら、それらの感想や気がついたこと
をブログに載せてみたいと思っている。
8月18日(金)スウエーデン マルメ
マルメ市はスウエーデンで3番目に大きい町である。
スウエーデン南部のスコーネ県のマルメはヨーロッパ大陸の窓口の町でもある。以前はここからデンマークの首都コペンハーゲンにフェリーがその大動脈の役割を果たしていたが、今では海底トンネルを走る地下鉄の開通によって、たった30分で行くことができる。
この風変わりな建物はコンドミニアムで、スウエーデン人の独創性が窺われる。これがもし日本であれば、いくら安全ですといっても誰も入らないだろう。
マルメ市にはストールトーリエット広場とリエ広場を中心としたダウンタウンがある。そのリエ広場にはレストランやお土産店が周囲を囲んでいる。
古い建物を利用したお土産店
そしてリラ広場から5分歩くとバイキングの城マルメヒュース城がある。
この城は現在は市の博物館になっているのだが、あいにく午後4時に閉まってしまった。
城のとなりのクングス公園にはブロンズの乙女の像があり、明るい森や掘割と風車小屋などが市民の憩いの場所となっている。
マルメのあるスコーネ地方にはスコーネという銘酒がある。これはウオッカの一種で、ハーブが加えられ、体に良く香りも独特のものがある。これを冷凍庫でギンギンに冷やして飲むのがツウである。渋谷にあった昔の職場の近くにスコーネというバーがあり、それを専門に出し、スウエーデン美人がお酌をしてくれたものである。
旅の終わりにマルメ市のバーで本場のスコーネに酔ったのはいうまでもない。
8月19日(土)マルメからコペンハーゲン、そしてマドリッドへ
スウエーデンのマルメからコペンハーゲン空港まではたった15分で行ける。海底トンネルと橋を越えればよい。途中にパスポートチェックも税関検査もない地下鉄の旅だ。
コペンハーゲン国際空港からマドリッドに行き、1泊したのちスイス・チューリヒ経由で日本に帰る。
コペンハーゲンで見落としたものがひとつあったのだが、幸いにして同じものが空港内で見ることができた。それがコレである。
アンデルセンの童話、人魚姫はコペンハーゲンの港にあるが、それと同じ大きさのレプリカが空港にあった。人魚姫に見送られて機上の人となった。]]>
(79)デンマーク コペンハーゲン③
http://katoworld.exblog.jp/4360946/
2006-12-12T14:18:00+09:00
2006-12-12T14:11:28+09:00
2006-12-12T14:10:22+09:00
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デンマーク
大会が開かれている。オリンピックと違い、アジ
アの地域性を活かしたスポーツやゲームも大
会種目にある。スパタクローやカバデイなどだが、
ボウリングやチェス、ボデイビルまであるそうだ。
チェスなどはとてもスポーツとは思えないが、
昔のオリンピックにも絵を書く競技もあったとか
いわれており、「プレイ」という観点では同じなの
だそうだ。しかし、メダル数では中国が突出して
いるね。そんなに国威発揚しなくてもと思うが。
コペンハーゲンは清潔で落ち着いたたたずま
いを見せている。
8月17日(木)コペンハーゲン・その3
コペンハーゲンの中央駅のまん前を走る大通り沿いにチボリ公園の入り口がある。有名な童話作家アンデルセンが愛したチボリ公園である。その入り口のとなりにBRYGGERIETという名のビアレストランがある。
このレストランのビールは自家製で、客席の中に醸造タンクを置き、目の前でビールの製造工程が見られる。私が珍しそうにタンクの写真を撮っていると、職人の若い人が日本語で「こんにちは、ようこそ」と言った。
彼はコペンハーゲンで日本人から習ったという。少したどたどしいが、日本が大好きで一度行ってみたいともいう。私は日本人は親切だし、旅行者にとって暮らしやすいからぜひおいでなさいと言った。
このレストランはタブロイド版の新聞を発行していて、裏がメニューリストになっている。
ビールもソーセージもおいしくいただいた。
おいしい夕食を食べ、いったんホテルに戻り、夜の10時からチボリ公園に出かけた。
チボリ公園は夜になってからが賑わうそうで、園内は光りのページェントである。池の中も、宮殿も、観覧車なども光りで彩られ、短い夏の夜を楽しむ親子連れで賑わっている。
園内の野外劇場では歌とダンスのショーやマジックが行われるという。また、夜11時30分からは花火も上がるそうだ。デイズニーランドとは比較にならないほど小規模ではあるが、明るすぎず素朴であったかい雰囲気に包まれたチボリ公園はコペンハーゲンの魅力のひとつであろう。
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(78)コペンハーゲン②
http://katoworld.exblog.jp/4351688/
2006-12-11T10:51:00+09:00
2006-12-11T11:29:58+09:00
2006-12-11T10:51:48+09:00
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デンマーク
武蔵一ノ宮の祭礼のひとつで、毎年12月10日に
開かれる。広い参道も露店で埋まり参詣の人手
でごった返す。ここ数年行っていなかったのだが、
今年久しぶりに出かけて驚いた。それは熊手売り
が幅を利かせ、大仰な店を構えていること。広島
焼とかイタリアン風味とか、モダンなお好み焼きが
たくさんあること。そしてタル柿売りが1軒しかなか
ったこと。
熟して柔らかなタル柿が好きで、昔は必ず買って
帰ったのだが、今はあまり一般に食べられなくなっ
ているそうだ。
8月17日(木)コペンハーゲン・その2
気の向くままコペンハーゲンの街を歩いていると、いくつか変わった建物や塔が見えてくる。
最後の写真の変わった尖塔に興味を持って行ってみた。
尖塔の外側に螺旋の階段がついており、人がそれを登っている。この建物は、Vor Frelsers Kirke という教会であった。中に入ると立派なパイプオルガンがあり、祭壇もロココの装飾に包まれた豪華なものであった。
私は高所恐怖症で、ミュンヘンの新市庁舎の尖塔や、フィレンツエのドオウモの横のジョットの鐘楼に登ったときも足がふるえて動けなかった。この教会の塔はたいして高くないのだが、階段が外づけなので登れるだろうかと不安であった。
しかし、料金は3ユーロというので、思い切って上がることにした。
木製の階段をしばらく登る。途中に鐘を突く動力のしかけなどがあるが、汗をふきながら登っていくと、外にでるドアがあった。
残っている写真はこれだけ。外にでたらもうダメ。手すりにつかまって回廊を一回りしている人もいたが、それはもう結構。命の危険が危ない。
下に降りて、管理人に螺旋階段があったと思うが、見つからなかったよというと、さっきの回廊の反対側から外階段が始まるのだそうで、もう1回行ってきたら?と薦められてしまった。
イエイエ、もうワタシャ結構ですと言って外にでた。
そうか、私は塔の一番上に出たと思っていたが、まだ中腹の回廊までしか登ってなかったのだ。あそこから上に外階段で登るなんて、シンジラレナーイ。
コペンハーゲンの楽しい観光、つづく。
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(77)デンマーク コペンハーゲン①
http://katoworld.exblog.jp/4336898/
2006-12-09T13:50:00+09:00
2006-12-09T15:48:04+09:00
2006-12-09T13:50:15+09:00
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デンマーク
を数年前と比べると、1週間は遅くなったような
気がする。各地の紅葉も年々遅くなっているし、
降雪も最近は少なくなっていると思う。
地球温暖化の進行は間違いない。カナダの
ロッキー山脈の氷河もシッポが100年間で数
キロも後退しているし、モルデイブの浸水は深
刻さを増している。
人口問題、エネルギー問題など地球規模で
の対策が必要ではあるが、まずは個人の意識
改革が求められる。そこで健康維持も考え、自
転車を買って乗り回している。
8月17日(木)コペンハーゲン・その1
ハンブルグ駅構内
ドイツ、ハンブルグから国際列車でコペンハーゲンに向かう。途中、海をフェリーで渡るのだが、それも含めてたった4時間で到着する。車両はたまたまパソコンの電源がとれたのでこれまでの日記と家計簿を打ちこむことができた。
女の子がコンパートメントの窓ガラス越しに私を覗き込んでいる。声をかけると恥ずかしそうに逃げてしまう。
コペンハーゲン市庁舎
やがて着いたコペンハーゲンは明るく清潔な街であった。ホテルを決め、賑やかなストロイエという歩行者天国に出かけた。そこにはコペンハーゲンの街を開いたといわれるアブサロン司教の像が飾られている市庁舎がある。歩行者天国はここから500メートルほど続く。
市庁舎の前の広場では平和団体とゲイの団体がイベントを開いていた。日本では虹の旗は生協のシンボルだが、欧米ではゲイやレズのシンボルでもある。
広場には市内観光のための蒸気機関車風バスが巡ってくる。
建物も噴水もオシャレであるし、爽やかな空気は札幌のような感じがする。
観光客も街の人々もおだやかな表情で、ギスギスしたところが感じられない。
これは暑さをしのいでもらおうという霧の発生機。
通りの両側はブテイックやブランドショップ、みやげ屋などが並び、ストリートパフォーマーが芸を披露している。
歩行者天国が終わり、そのまま歩き続けると運河に出た。
もうしばらくコペンハーゲンの街歩きを楽しむことにしよう。
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(76)ドイツ ハンブルグ
http://katoworld.exblog.jp/4325100/
2006-12-07T21:58:00+09:00
2006-12-07T22:30:27+09:00
2006-12-07T21:58:48+09:00
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ドイツ
失敗年賀状と白紙で残った年賀状をまとめて
郵便局に持ち込んだ。今年の年賀状に換えよ
うとしたのだが、切手か普通ハガキと交換で
きるだけと言われた。理由を問うと、お年玉が
ついているので、価値が異なるからだそうだ。
なるほど、そりゃそうだ。
カナダ、ドイツ、アメリカでお世話になった方
々へのクリスマスカードも発送したので、ひと
安心だ。
8月16日(水)ハンブルグ
オランダ、アムステルダムからドイツ、ハンブルグへ向かう。そのあとは、デンマークのコペンハーゲンを通り、スエーデンのスコーネ県マルメ市へ足を延ばし、そこからスペインのマドリッドまで飛行機で戻り、スイスのチューリヒ経由で成田に飛ぶ。
いよいよヨーロッパ駆け巡りも大詰めで、6日後には日本である。
ハンブルグはドイツ北部の重要な港町である。町には近代的なビル群と歴史的な建物がありコントラストをなしている。ただし、大戦での爆撃で当時の建物は破壊され、市民の努力で再建修復されたものである。
そのひとつに市庁舎がある。
市庁舎の前の広場では普通のワインとリンゴで作られたワインのお祭りが開かれ、ソーセージや野菜の煮込み料理を売る露店がたくさん集まっていた。
少しアルコールの入った観光客が、ピンクのかつらをかぶされた上、先の曲がるホウキを持たされ、道路に散らばるビンのキャップを掃除させられていた。もちろん余興なのだが、ようやく集めきろうとすると、どこからか露店の若者が現われ、キャップを蹴り散らかしてしまう。
ガッカリしていると、またワインを飲まされ、イヤイヤ掃除を始めるのであった。取り囲む観客から拍手喝采が起きる。ハンブルグの市庁舎前はにぎやかな時が過ぎていった。
ハンブルグ中央駅
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(75)オランダ エダム
http://katoworld.exblog.jp/4309239/
2006-12-05T21:09:00+09:00
2006-12-05T21:25:04+09:00
2006-12-05T21:09:44+09:00
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オランダ
9000円である。じつは日曜日に区内の公園で
放置自転車の販売抽選会があり、行ってみた
のだが、同じくらいの値段なので自転車屋さん
で購入したのだ。
これで区内のどこにもサッサと出かけられる
し、健康にも良い。地球環境にも優しいのだ。
カナダでは通勤に利用する人も多く、自転車
警官も颯爽と町を警らしている。ドイツや北欧
では地下鉄でも国鉄でも自転車のまま乗り降
りできる。日本もそうなるといいね。
8月15日(火)エダム
フォーレンダムの町のバス停からエダムという町に向かった。エダムチーズで有名な町である。こちらにも市内をいくつかの川が流れ、ボートが行き交う水運の町である。
下の写真は水位を調節して船を高い場所に引き上げる用船堀である。
エダムの家々の窓を見ていただこう。
3軒目の家の窓辺にはコケシが飾られていた。なにかしら日本とつながりのある家なのだろう。
市内の中心部には古い商店が互いにもたれあうように傾いて立っていたり、エダムチーズのお店やチーズとワインのレストランがあった。
川辺にはサギが舞い、美しい花の庭をもつ家がいくつもあった。エダムもまた、水郷の美しい町であった。やはり、アムステルダムはオランダではなく、マルケンやエダムのような町が本当のオランダなのだと思った。
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(74)オランダ フォーレンダム
http://katoworld.exblog.jp/4297717/
2006-12-04T10:17:00+09:00
2006-12-04T10:46:13+09:00
2006-12-04T10:17:01+09:00
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オランダ
実力はありながら長い間恵まれなかったレ
ッズがようやく優勝できた。しかも最終戦で
の決着は浦和らしい。わたしの町は大宮な
のでアルデイージャだが、旧大宮市民でも
レッズファンのほうがまだ多い。歴史が違う。
大宮も力のある外国人を入れたりすれば、
まだしばらくはJ1でやれるだろう。さいたま
市で2つもJ1チームを持っているなんて贅
沢なもんだ。
オランダの水郷地帯、フォーレンダムの
教会で見つけたものとは・・・。
8月15日(火)フォーレンダム・その2
教会は外見も内部もどこにでもあるようなものだったのだが、裏の庭に出て驚いた。
まずはマリア像に見守られた可愛い墓石とたくさんの花が目に映った。きっとそれらは小さくしてなくなった子供達の墓なのだろう。そしてすぐ脇にある墓石は。
なんと亡くなられた墓のご主人の写真が付けられているではないか。墓石には生まれ年と享年とお名前があり、どんな仕事をしていたかも彫られている。
そしてタペストリーのようになっている墓石もあった。
日本のお墓は代々の家というものを基準にしており、個人の墓ではない。しかし、こちらでは個人を尊重しているのでこんな墓になったのだろう。アメリカやカナダでは広い野原のような墓に墓石を置いた墓地が多い。狭いオランダでは立体式も作ったというところか。
しかし、教会の裏の墓地は花が咲き、とても明るく、天国のように安らかであった。
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(73)オランダ フォーレンダム①
http://katoworld.exblog.jp/4283417/
2006-12-02T12:04:00+09:00
2006-12-02T12:30:39+09:00
2006-12-02T12:04:18+09:00
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オランダ
忘年会があった。幹事から頼まれていたので、
「うんちくクイズ」を準備して行った。その中で好
評だったもの。イカスミは食べるけど、タコスミ
は食べないのはなぜ?というのがある。答えは、
イカスミは具によく絡むが、タコスミはサラサラ
しすぎて料理しづらいから。
イカは粘性のあるスミを吐き出し、物体をつくり
相手がまごつくスキに逃げるが、タコは煙幕を張
って逃げるのでこんな違いがある。
オランダの水郷地帯の2番目はフォーレンダム
という町である。
8月15日(火)フォーレンダム・その1
マルケンから船でアイセル湖を渡り、フォーレンダムに向かう。湖は波が静かで、心地良い風が吹いている。はるかかなたに見えていたフォーレンダムも、30分ほど過ぎ行くうちに教会やレストランや土産屋などと見分けがつくようになってきた。
船から上がり、土産店のならぶ狭い道を行くと、飾り窓の店や、牛皮を干している店などユニークな店がたくさんあった。
土産店の通りはそれでも100メートルくらいでつきてしまい、あとは茫々たる湖に沿う道となってしまう。その湖畔では犬を遊ばせている人がいた。
湖を背にして道を渡ると住宅街に入っていく。そこには堀割があり、おそらくこの辺りも埋め立てたのだろうと推測できる。
昔ながらの家々と掘割のつくりだすなにやら懐かしい景色を楽しんでいると1軒の教会があった。この教会に入って驚くことに出会うのだが・・・・。
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(72)オランダ マルケン③
http://katoworld.exblog.jp/4276927/
2006-12-01T11:32:00+09:00
2006-12-02T11:38:35+09:00
2006-12-01T11:32:18+09:00
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オランダ
ると、後ろから自転車のベルがチリンチリン
と数回鳴った。後ろをみると二人乗りの若者
がドケよとばかりに走ってきている。
わずかにぶつからず避けたが、こんな危
険な目に歩道で会うのは理不尽である。
本来自転車は立派な軽車両である。歩道
を行くなら、押して歩かねばならない。最近
自転車で右側を走る人も多いし、いったい
日本はどうなっているのだろう。
ドイツでは車道、歩道、自転車レーンと分
離されているのでこんなことはないのだが。
8月15日(火) マルケン・その3
マルケンの民家はどの家もきれいにペンキで飾られ、よい街づくりに協力しあっているのがよく分かる。
マルケンのレストランで昼食をとり、そこから22キロ北のフォーレンダムという街に向かう。マルケンからは船が出ていて、40分ほどで着く。バスの1デイ・チケットを示すと料金は半額の
3.5ユーロとなる。
昔は漁港として栄えたマルケン港に行くと1軒のお土産屋があり、こどもが大きな木靴に入って写真を撮っていた。
港は次第に観光向けの業務が多くなってきているそうだ。
フォーレンダムへ行く船が港に入ってきた。水郷地帯のマルケンは私の心にまた、ゆったりとした気持を取り戻させていた。]]>
(71)オランダ マルケン②
http://katoworld.exblog.jp/4269907/
2006-11-30T10:46:00+09:00
2006-11-30T11:37:12+09:00
2006-11-30T10:46:05+09:00
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オランダ
からイジメ問題の緊急提言がまとまった。私の
言ってたように、イジメをする子供への指導を
徹底し、被害側のこどもを救うことが一番重要
なのだ。被害児童を転校させることは次の被害
児童を生み出すだけで、ちっとも解決にならな
い。それこそ教育放棄だ。しかし、ヤンキー先
生のように、こども達のなかに入っていき、本
音で語り合える先生がどれほどいるのか。
同じ教育再生会議のメンバーの影山さんは、
メソッド一辺倒で、心を育てることはできないし、
彼の指導を受けた先生ではイジメ問題を解決
することはできないだろう。
オランダ、アムステルダムの郊外、水郷のマル
ケンはこころ和む癒しの街であった。
8月15日(火) マルケン・その2
マルケンは街というより、村とか集落とかいったほうがなじむかもしれない。幅の狭い小川が掘割のように家々の間を流れ、水草やアジサイなどの花が咲き、拠水林が風を送るまことに平和な光景が目の前に広がる。
小川には水鳥が群れ、橋はみな、船が通れるよう跳ね橋となっている。
マルケンにひとつあるお店は、コンビニエントな店だ。
小さな店だが、みやげ品・切手・ハガキ・アイスクリーム・パン・チーズ・野菜・果物・お菓子、
ジュースや水、ハンカチに帽子・・・若い女性が二人でキリモリしていた。
その真向かいにこれまたマルケンでひとつのレストランがあり、昼食を食べに入った。
老年のご夫婦でやられているこのレストランは魚介類のメニューもあり、私はムール貝をボイルしたものを堪能した。
集落の真ん中に教会があり、その中には漁師の島であった歴史をあらわす船が天井から吊り下げられていた。
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(70)オランダ マルケン
http://katoworld.exblog.jp/4266289/
2006-11-29T21:07:00+09:00
2006-11-29T22:18:19+09:00
2006-11-29T21:07:10+09:00
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オランダ
から参加させていただく会が6回ほどある。
運転する人は乗るなら飲むなを徹底してもら
いたい。福岡市の事故以来繰り返し起こされ
ている飲酒運転事故だが、事故を起こす人は
新聞もテレビも見ない人なのであろうか。
いや、おそらく飲んでしまうとココロのブレー
キがきかなくなってしまうのだろう。
だから、残念ではあるが、飲酒運転者への
厳罰化により、ブレーキ効果を高めるしかな
いと思う。
アムステルダムから1時間半の郊外にある
水郷地帯を旅した。
8月15日(火) マルケン・その1
アムステルダムのホテルをまだ怒っている。50ユーロも払っているのに客を客とも思わないフロント係はなんなんだ。きのう、パスポートを投げて返した女性のことだ。朝食のときにパンなどを補充していたが、客にあいさつもしないし、笑顔もない。
まるで、自分がサービス業で働いているという自覚がない。たぶん教育もされていないのだろうが、こんな女性を雇っているオーナーじたいがそういう人なのかも知れない。
むろん、4ツ星以上のホテルならこんなことはないだろう。しかし、これまでもっと安いホテルであってもこんなことは無かった。
しかし、このままではオランダ嫌いになってしまう。このヨーロッパ旅行を楽しく過ごしたいのだ。そう思ってアムステルダム郊外の水郷地帯を訪ねることにした。
1デイ・バスチケットというのがあって、6ユーロで水郷地帯のいくつかの街をまわるバスに乗ることができる。アムスからは約1時間半でマルケンに着いた。終点から歩いて教会を中心にした集落まで歩くと、水鳥が遊ぶ小川があった。
実にのんびりとした光景である。心がやすらぐ。集落の中に入ると美しくペイントされた家々があった。
集落の中心にマルケンの博物館があった。周囲の家々と同じ造りである。中にいた係のおばあさんは、胸元の刺繍と白い帽子というこの土地独特の衣装で出迎えてくれ、記録ビデオをみるよう薦めてくれた。
元はマルケンは北海につながるアイセル湖に浮かぶ島であった。島民は二シン漁などでほそぼそと暮らしていた。島は土地が低く、大きな嵐が来ると道路は冠水し、しばらくの間は不便な生活を余儀なくされていた。15年ほど前にこの島に本土と結ぶ橋がかけられ、現在は漁師をやめて、アムステルダムに働きに行く人が多いという。
こんな情報がビデオを見ていてよく分かった。また、この元、島であったころの独特の文化や民俗が面白く、少しでも残してほしいと思った。
跳ね橋と村に伝わる衣装を着る女性
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(69)オランダ アムステルダム
http://katoworld.exblog.jp/4257381/
2006-11-28T13:52:00+09:00
2006-12-07T18:23:50+09:00
2006-11-28T13:52:51+09:00
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オランダ
海外出張で問題になっている。1泊26万円の部
屋に泊まったり、単なるガラパゴスクルーズとか、
小笠原ダイビング旅行といわれても仕方ないよう
なものが多い。
おまけに、四男をヨーロッパに連れて行ったり、
関係する団体に数億円の予算をつけたりしていた。
一度権力を握り、多選される中で身内をつかい、
政治を私物化したり、収賄で私腹を肥やしていく
のは世の習い。福島、宮崎、和歌山と最近はパタ
ーン化しつつある。
目黒区議会では公明党の6区議が政務調査費
を私的に流用して辞職したし、宮沢とかいう議長
は自宅の納屋を事務所といい、家賃を公費で妻
に払っていた。
安倍首相にあらためて聞きたい。いったいこんな
国を誰が愛せるのですか?
ベルギーからオランダ、アムステルダムに入る。
8月14日(月) アムステルダム
アムステルダムは20年ぶりである。前回は中央駅前のビクトリアホテルに泊まり、アムステルダム・フリー大学を訪問しただけの1泊であった。
写真はアムステルダム中央駅。小雨が降りつづいている。駅前のツーリスト・インフォはたくさんの客で順番がなかなかやって来ない。シビレをきらして雨の中を宿探しに出て行く。定石は駅を背に左へ行くのだが、あいにくその方には運河があって、今回は右に行く。
アムステルダムは過去の植民地からも含めて、世界中から集まってきた人で溢れている。そして観光シーズンの夏はどのホテルもいっぱいになる。私は8軒のホテルに当たったがすべて満室であった。しかたなく、市電で少し離れたところに行き、たまたまあったツーリスト・インフォのVVV(フエーフエーフエー)に入った。もちろんココにも行列ができていた。
やっと私の番。50ユーロ未満のホテルを頼むと係の女性は「そんなのあるかしらねー」と言いながらリストにあるホテルに電話し、「ラッキーね。50ユーロだって」とのたまう。こちとら、「あるじゃないか」と日本語で思わずどなってしまった。疲れてたんだね。
シングルルーム、朝付きで36ユーロ、アムステルダムだし悪くないと思って予約をすると、
係のその女性は「この通りをまっすぐ行くと、アメリカホテルがあるからそこを過ぎたところにあるわ」と行きかたを説明しだした。
これまで、それで行き着かず苦労してきたので、地図をくれるか書いてくれと言うと、また口頭で説明を繰り返す。3回言ったが、同じなので、この人はほんとうの場所は知らないんだなとあきらめた。3.5ユーロ(500円くらい)もとっていいサービスだよ。
アメリカホテルを過ぎると道路と交差して運河がある。まっすぐ、このまま運河の橋を渡るのか、それとも運河に沿って手前の道を右に入っていくのか、はたまた、運河まで行かず、アメリカホテルのかどを右に入るのか、それが分からない。ここは手前から順に探すしかない。
アメリカホテルのかどを曲がるとまた小さなホテルがあったので聞く。すると運河に沿った道にあるという。ようやく今夜の宿がみつかった。
上の写真はホテルとは関係ないが、近くの建物で、こうした古い3~4階建てが多い。
私の泊まったキング・ホテルは、さきほどのVVV(フエーフエーフエー)よりひどいサービスだった。フロントにはインドかスリランカ人ふうの痩せた女性がいて、元気よくハローと声をかけると、
「パスポート」とひと言。差し出すと番号を控えて投げ返した。ま、ま、これくらいは今までもあったし・・・。ガマンして4階の指定された部屋に行く。階段は60度くらいの傾斜。
部屋は狭く、トイレ・シャワーは共用。室内にはタバコの臭いが充満していた。
私はノン・スモーカーなので、部屋を代えてもらおうとフロントに行くとさっきの女が、あの部屋しか空きはなかったので代えられないという。しかし、まだ午後早くだし、未着の客も多いだろうから代えられるのでは突っ込むと、イヤなら予約したVVV(フエーフエーフエー)へ行ってキャンセルすれば?70%くらいはキャッシュが戻るでしょと言った。
これはひどい。さすがに私も腹が据えかね、それがお客に言う言葉か?あんたは自分の言ったことが分かっているのか?客の要望に応えようとするのがあんたの仕事だろう!と怒鳴ってしまった。分かったのかどうか、私の剣幕に驚いたのか、これでこの女性が黙ってしまった。
こっちは「日本人をなめんなよ」という積もりもあった。
こうなりゃ自分でやるっきゃない。いまさらホテル探しはご免だし。部屋へ返ってドアを開放し、5センチくらい開いている窓を開け放ち・・・と思ったが窓はもう開かない。ほんとにボロだ。廊下の中間ドアーも風通しをよくするために開けて、その脇のトイレのドアも開け換気扇を回した。
この状態で貴重品だけ持って市内観光に行く。
フロントを通るとさっきの女性が、扇風機いりますか?と聞いてきた。「要らないヨ」と答えて外に出たが、今帰国して考えるとアイツも反省したのかなと思う。でもその時は当分許さないゾという気持であったのだ。
観光に出たアムステルダムの街は、雨が降ったりやんだりで、夏なのにスッキリしない。
通りは車が多くおまけに市電もちょくちょく通るので歩きづらい。運河にはゴミが浮いており、お世辞にもきれいとはいえない。
市内目抜きのダム広場にいくと王宮があり、近くにレンブラントが暮らした家とか、アンネ・フランクの家もあるのだが、どれも行きたいとは思えず、フラフラと市内を歩き回るだけであった。
アムステルダムはさっきのホテルのことも手伝い、印象の悪い街になっていった。
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(68)ブリュッセル ③
http://katoworld.exblog.jp/4250356/
2006-11-27T11:16:00+09:00
2006-11-29T21:41:33+09:00
2006-11-27T11:16:34+09:00
kato-world
ベルギー
に行き、テニスを楽しんだ。ミックスや男子ダ
ブルスだが、勝ったり負けたりの楽しいテニ
スである。むろん勝ったほうが楽しいのだが、
力の劣るペアに勝っても面白くはなく、少し
強くて勝てないかなと思われる相手に工夫し
て勝てたときは格別である。
ふだん、運動不足なのでテニスをするとき
は女性や年配のかたとペアを組み、たくさん
動き回るプレーをしている。ときには心臓の
鼓動がなかなか収まらないほど激しい動き
が続くときもあり、少し危険でもある。
ブリュッセルのフラワー・カーペットの夜を
たっぷり楽しんだあとは・・・。
8月13日(日) ブリュッセル
ブリュッセルのグラン・プラスは夜に入っても人出が落ちず、ライトアップされた市庁舎やフラワー・カーペットを愛でる人々で賑わっていた。
広場を囲む中世の建物の一つに肉屋のギルドがあり、現在は有名なレストランになっている。そのレストランの横に幸せの像があり、皆がそれに触れている。
真鍮製のこの像は触られているうちに顔が変わったのか、元からこの顔なのか知らないが、ドクロのようで不気味であった。こうした触ると幸せになるというモノは各所にあるが、欧米ではイノシシやライオンであることが多い。
グラン・プラスを中心とするブリュッセルの街はレストランが多く、12時を回ってもその賑わいは絶えなかった。
時間が前後するが、この日の午後に訪れたサン・ミシェル大聖堂を紹介しよう。
1226年から作り始められたゴシックのこの建物は、完成まで300年を要したというが、おそらく資金の問題もあったであろう。ベルギーが独立できたのは第二次大戦後であり、それまでは大国からの支配を受けてきた歴史が続いたのだから。
ミシェルは大天使ミカエルのことで、悪魔から人々を救ったミカエルを讃える信仰が、大国の圧制や横暴に対抗する市民の希望と結びついている。
下の写真は街で出会った秋田犬で、名前はサムという。これは日本の犬ですねと買主に言うと素直でとてもいい子ですと話してくれた。
ブリュッセルは私の大好きな街になった。
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(67)ベルギー ブリュッセル②
http://katoworld.exblog.jp/4240891/
2006-11-25T15:49:00+09:00
2006-11-25T16:28:59+09:00
2006-11-25T15:49:09+09:00
kato-world
ベルギー
遺伝もあるが、毎日の食生活がいけない。成
人病の食事という本を読んだら、魚の干物は
塩分が濃いのでいけないと出ていた。好物な
ので毎日食べていた。アジ、サンマ、イワシ、
サバなどの青魚であっても干物は駄目だそう
だ。今日から、ソテーしてレモン汁で食べるこ
とにしよう。
いよいよ今日は、世界一美しい広場でのフラ
ワー・カーペットをご紹介しよう。
8月13日(日) ブリュッセル
ブリュッセルの市内でよく目立つ高い塔(99m)が市庁舎の建物である。グラン・プラスはその前にある。たて110m、よこ69mの石畳の広場では毎日花の市が開かれ、日曜には鳥の市が開かれている。もともと、広場は野菜や魚、肉などの市が開かれ、人々の交流の場でもあった。
グラン・プラスのフラワー・カーペットは2年に一度、8月11日から3日間だけ開かれる。ふだんだと3日目は夏の暑さにやられて花びらが黒く変色してしまい、見られたものではないと、
教えてくれたのは「満月」という広場のそばのお鮨屋さんのご主人だった。
今年は運の良いことに、飾りつけをした木曜の午後に雨がふり、その後もそれまでと打って変わって気温の低い日が続いたとのこと。誰です?おまえは悪運が強いだなんて。
上の写真の中央の建物がゴシック様式で建てられた市庁舎である。そして、下の写真の右側の建物がギルドの建物で、船乗りのギルド、パン屋のギルドなど職種によって飾りつけに特徴がある。
次の写真は6つのギルドが集まった豪勢な建物で、石工、製粉業などが入っており、金の細工を壁に施している。
私は実はフラワー・カーペットのことは全く知らなかった。ベゴニアやダリアなど、60万本の花が使われ、ブリュッセルの地域の人々がボランテイアで飾りつけているそうだ。2年に1度というのも、3日目の最終日にブリュッセルを訪れたのも、天候が幸いしたのもなにか特別なものを感じざるを得ない。
この日は周辺の街からはもちろん、ヨーロッパ諸国からも見物客が詰めかけ、日本からは私が代表となったが、ほんとうに偶然が重なり世界で一番美しいものを見ることができ幸せであった。
夜のフラワー・カーペット
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