ミュンヘンから寝台夜行列車でローマに行きました。
しかし、ローマも暑かった・・・。
6月21日 (水) ミュンヘンから ローマへ
「3世、2世、ノーセイ」」
夜行の1等寝台で3人のコンパートメントは期待に外れてひどいものだった。1部屋3人で利用するものだが、最上段の席で、座ると頭が天井につかえるし、足もつま先を少したたまないといけなかった。
相客は1人がドイツ人の青年、もうひとりはブラジル人で、もとはポルトガルからの移民だそうだ。3人とも英語で話す。しばらくはワールドカップの試合や選手、監督の噂話。日本もいいチームだと思うよと励まされてしまった。がなんともはや。(日本はオーストラリアに試合終了寸前に同点とされ逆転負けを喫した)
ブラジル人のクリスは弁護士の仕事をしている。日本人の渡辺さんと野口さんという人も同僚でいるそうだ。私は彼らは何世か聞いてみると、面白いことを教えてくれた。それは「3世、2世、ノーセイ」という言葉だ。ノーセイはポルトガル語では「I DON’T NO」で、英語でいえば「NO SAY」である。もうそんなことを聞くなよ、俺たちゃ一緒だぜ・・・。そんな感じかな?
クリス君は日本語で「3世、2世、ノーセイ」と言いました。
6月22日 (木) ローマ着
「ローマ・テルミニ駅は不便だぞう」
到着した駅から先ずテルミニ駅まで行かねば成らぬ。英語を話せそうな外人を見つけて聞きながら分かりづらい販売機でキップを買い、4つ先のテルミニ駅に着いた。
ここからローマの苦しい観光が始まる。まず、大きなザックを預けたい。コインロッカーを探すがない。ミュンヘン駅ではいくらでもあったのに。バッグのピクトグラフ(絵文字)があったので、そこをたよりに行くとそれも地下で分かりづらかったが、飛行機の搭乗のときのセキュリテイの機械に通している。
ワタシヤ 飛行機に乗るんではないよ・・・と、他を探すがない。警察官がいたので、聞くとやはり同じ方向を指差す。て。ことはやはりアレなのか。もう一度また300メートルも重たいザックを2個かついで行く。注意深く見るとみな飛行機に乗る人達とは思えない。そうかいちいち預かるのに安全検査をしているんだ。最近はぶっそうだからね。
でも行列はさっきより長くなっていて、15分してようやく預けることができた。あとになってわかるのだが、イタリアの駅ではどこでもこうで、コインロッカーは置いてなく、旅人にはまったく不便なのである。
「サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会でミケランジェロを見る」
そのあとインフォメーションを探し、宿のユースホステルへの行き方を聞く。地図に記しをつけ、地下鉄とバスを乗り継ぐことを教えてくれた。さあ観光だ。
まずテルミニ駅から近いサンタマリア教会に行く。ローマ共和国広場のまん前で噴水が元気だ。しかし、道路の舗装工事も遠慮なく進行中で、煙やほこりがいやおうなく降りかかってくる。
教会はさすがに大きく豪華絢爛たるものだ。ここはローマ帝政時代の浴場の遺跡を16世紀に転用してつくった教会だという。ミケランジェロやその弟子ロッシなども参加して内部の礼拝堂をつくっているという。
目を引いたのは太陽光線が床に差し込むのを利用して、黄道12宮の星座を床面に描き、日時計(月?)にしていたことだ。おそらく他にないのではないかな。私はおとめ座(Virgo)なので、その写真を撮影しました。
そのあとはすぐ隣の国立博物館に行きたい。が、どこにも案内看板がなく、4・5人に聞いたがよく分からない。20分探して、反対側のエントランスにたどり着く。
ツアーだったらこうした苦労と時間のロスはないわけで、そのへんがつらいところだ。しかし、案内板さえあれば個人旅行者でも気軽の行けるのにね。
中を英語のガイドフォンを借りてまわったが、スゴイ、感動!!というのはなくて無造作に紀元前の彫刻やバス、棺おけ、甕(カメ)などが陳列されている。先史時代の遺物や創生期のころの遺物の展示がされているが、やや疲れているので、身が入らなかった。
そのあと、道端で営業しているカフェに入り、ビールとピザを注文し、のどを潤す。
「奴隷どうしの助け愛・共済」
さらに骸骨寺(正式名 サンタ・マリア・デラ・コンゼジオーネ)をみたく、汗を拭きながら頑張るが当の寺がシエスタ(昼休み)で3時再開。あと40分もあるが、もう歩きたくないので、エントランスの階段に腰をおろして待つ。暑い。ローマも暑い。じっと待つ。
骸骨・・・。ありました。教会の地階で回廊に沿って展示されている6~7室に並んでいます。たくさんすぎるし、きれいに飾られ、折りたたむように並べられたりしているので、怖さはあまり感じません。鈴なりの観光客と一緒に行列しながらなので余計にそうなのだが、一人で暗いなかを歩かされたらどうだろう。写真撮影は禁止されているので紹介できませんが、ローマ市内のカタコンベ(墓地)に葬られた人のお骨だということです。
むかし聞いた話ではローマに連れてこられた他都市の捕虜が奴隷として死んだあと、野原に捨てられるのを避けるためにお金を出し合って、カタコンベに葬られるようにしたのだそうだ。野原で犬に食われるのではなく、死んでようやく平和を得るという一縷(いちる)の希望をかけたわけだ。
お金を出し合い、希望を分かち合うという意味で、最初の共済(保険)だったという説がある。そうだ、明治大学の徳松先生が大学生協(コープ)の共済の開始のときに話された内容だ。しかし、よく覚えているねー。20年くらい前の話だが、興味があると覚えてるもんだね。さて話は続きがあり、奴隷を雇う側にも保険があって、彼らが逃げ出したときに連れ戻すか、新しい奴隷を送ってもらうか補償されるという内容のもので、必要は発明の母というのは本当だとそのとき感じたものだ。
「宿は近きがよし」
疲れもはげしくなってきたので、今日は撤収。テルミニ駅に戻り、重いザックを回収し地下鉄で郊外の駅に向かう。駅からはバス。言われた246番のバスに乗り込む。
ドライバーに目的地を言うがノーノー。と言ったきり口をきかない。すぐ、ターミナルに着き、ドライバーも客も降りてしまった。
バスターミナルには他のドライバーもいたので聞くと英語はできないとニベもない。アタマに来たので、こんなときはアタマを冷やそうと、ジェラートを買って食べる。
となりにタバコ屋があったので、お兄ちゃんに聞くとこのユースホステルを知っているという。246番に乗っていけと言う。事情を話すと、それは逆方向だったんだよと笑ってくれた。そうか逆か。こんどは下りに乗ればいいんだてえんで、一挙解決。運転手が英語が分からんというと、住所だけ見せればいいよとアドバイスをくれた。
タバコ屋はバスチケットを扱っているので詳しい・・・。これもジェラートのお陰。
ようやく辿りついたのが「キャンピング・イン・タウン・ローマ」という、ユースでもなんでもない大手リゾート産業の開発によるキャンプサイト。そういえば昔、旅行業をしてたころ、安い泊りを探しててココをインターネットでみつけたことがあったっけ。昨日、ミュンヘンのインターネットカフェで予約したときにはユースホステルになっていたが、この企業がユースに参加して客集めに利用しているだけのことだ。
「ハイ、お約束の事件発生!!」
チェックインをしたら、3人用のバンガローがあてがわれたが、客はもう一人だけという。
289番のバンガローには、すでのその人のザックが置いてあり、部屋の狭さからは寝たときのうっとうしさを想像させてくれた。狭い。困る。イヤだなア。
しかたないのでシャワーを浴び、表のスーパーにビールやパン・果物などを買出しに行き、戻ってきたときに驚いた。女の子が部屋のなかのベッドにいるではないか。アレツ、部屋を間違えたかな?この可愛い子が相客だということに気がつくのに数秒かかった。彼女はにこやかにハローと言った。エツ、
いいのか?こういうのありか?
彼女の名前はクリステイーン。
そとのテーブルで夕食を食べながら聞くと、彼女もこういうバンガローは初めてで、普通のユースだと6人から12人の大部屋だそうだ。男女はミックスが普通なので、べつに今回も気にならないという。Dosen't matter そうか、いいのか。それにしてもねー。
こうなったらしかたない。日本男児として恥ずかしくない行動をしようと覚悟を決め、互いの旅や仕事、学業などについて話をした。彼女はスウエーデン人で、5年間の会社勤めをやめ、大学で心理学を学び直すのだそうだ。そのバカンスを3週間とって、イタリア各都市を回っているという。私はスウエーデンといえば初めて中学1年生で英語のペンパルを求めたとき、雑誌社が紹介してくれたのがスウエーデン人の女の子だったことや、渋谷にスコーネというバーがあり、ここはスウエーデンのスコーネ地方の銘酒(ウオッカ風な薬草酒)をスコーネ地方の女性がサービスしてくれていたことなどを話す。
お互いの国の社会福祉のこと、少子化問題、環境問題と話題は尽きない・・・。夜も9時を過ぎると日もやや勢いを落とし、吹いてくる風も気持ちよくなってきた。スーパーで買ったハイネケンが旨い。彼女もいける口で、しばし青春時代に戻ってウキウキとした気分になった。ローマ・
マルである。
クリステイーヌとは2晩も一緒だったが、私は日本男児として決して恥ずかしいマネはしていません・・・。なにもことわるこたア ないんだが・・・。
6月23日 (金) 晴れ ローマ滞在
「暑さでくたばったローマ」
今日はローマで見たいコロッセオとバチカンに行く。まずはバス・地下鉄を乗り継いでテルミニ駅に出る。そこから徒歩でサンタ・マリア・マッジョーレ教会へ行く。ここも古いし立派である。
教会の前に一本の化粧をほどこした大理石の柱が立っているがこれがなんと1125年の作。
教会はローマ4大聖堂のひとつといわれていて、敷地はヴァチカン市国のものという。
絢爛豪華なロマネスク様式の黄金の天井があり、ミケランジェロ作の礼拝堂や後陣のモザイクが見事である。創建が360年というからものすごく古い。創建の伝説では法王シベリウスが夢の中に現れた聖母マリアから「今宵、雪が降りしところに教会を建てよ」とのお告げがあり、ほんとうに真夏に雪が降ったエスクイーノの丘に寺院を建てたという。
いい話だ。真夏に雪ねー。まるで、二十四孝だ。
でも、雪というか雹かアラレなら真夏にも降るね。意外にそんなことだったかも。
そのあと、かなり暑い陽射しのなかをコロッセオに向かう。坂を登っていくと巨大な石の構造物が見えてきた。これだ。すごい。でかい。
取り巻くように走る車道を乗り越え乗り越えコロッセオに近づく。それにしてもすごい観光客の数だ。コロッセオの周辺、内部に大集団が並んでいる。どうやら内部に入るにはあの行列の尻につかねば成らぬようだ。しかし、あまりの暑さに気力が萎える。とにかく日陰がほしい。薄い緑の木の下に逃げ込み陰をとる。緑陰わずかにして汗、止まることを識ラズ・・・。
あー、真夏の雪でも降らないかしらん。
しばらく休むが気分がすぐれず、コロッセオには申し訳ないが、「ありがとう、充分感動したからね」とお伝えして、中には入らず撤収することにした。
古いローマ時代の遺跡、フォノロマーノを見ることとバチカンを見ることも放棄。じつはギリシャからの帰りにまたローマに寄るので問題はないのだ。(うまいね。どうも。計画的だね・・・)
「ここで事件発生(またかい)」
くたびれた体を引きずっての帰路、今度はローマテルミニ駅の地下鉄構内が停電してしまった。たぶん暑いんで、冷房の電力がパンクしたのだろう。電車は動き回っているがホームが真っ暗だ。携帯をオンにしてわずかな明かりで進む人もいる。ところどころの天井に非常電灯が灯っている場所もある。
しかし、2回乗ったことで自信もあり、たぶんこっちだろうと思う方向へどんどん進む。ひるんで動かない人も多い。エスカレーターも停止しているので、かなり深いローマの地下鉄が停電になると怖いものがある。
B線からA線に乗り換えるところで、完全に真っ暗になった。こっちだろうと思えるが、人はわずかな光りを頼りに安全な上にいったん上がる。
わたしゃ旅行会社の人間ダイ(元)。と言いながら、信じた方向に進むとありました。階段とエスカレーターがあり、遠くの非常電灯でめざす駅にいけるホームに進めるのです。
そのとき、パッと明かりがつき、オーツという喚声がアチコチから聞こえます。前方からも人が歩いてきました。よかったねと思う間もなく、ピッと、音はしなかったがまた真っ暗闇に。
今度は、違う意味で「オーツ」そして「ノー」。しかし、ホームはこの階段さえ降りればすぐそこ。慎重にくだり、ようやくホームに降り立つ。こんなことも珍しくないのだろうが、旅人には珍しいことなので写真を撮った。
ローマはいろいろ問題があるね。
6月24日 (土) 晴れ ローマからバーリへ
「耐えて耐えて、ローマを去る」
2泊目もきちんとこなして、クリステイーヌとは親子のような関係になりました。たがいの旅の安全をハグとキスで確認してお別れです。今日はギリシヤに行くフェリーが出るバーリまで行かねばなりません。ローマから5時間半の鉄道の旅です。ユーレイルパスだけでは乗れず、座席予約が必要なのでまたテルミニ駅に行きチケットオフィスを訪ねます。
ここでガックリきたのは先客が200人くらいいて、数列に分かれて並んでいます。ローマはすべてこれだ。客を客と思ってない。欲しけりゃ並びな・・・という感じがする。これは博物館のチケット売り場でもそうだった。ま、公務員さんはどうしてもそうなるんですな。(外国の話)
じっと耐えて45分後にやっと順番がきてバーリまでのキップの予約ができた。また昨日に続いて気持が悪くなってきたので、2階のカフェテリアスタイルのレストランで休憩アンド昼食。食欲はあるんですなー、不思議と。ビールを飲んでパスタを摂っていると気分も良くなってきたので、午後1時38分発 ICE特急に乗車。
快適な列車の旅で、午後6時過ぎ、20分遅れでバーリ(BARI)着。タクシー10ユーロでフェリーポート着。ほんとは6ユーロ70セントなのだが、メーターを隠すように倒して証拠隠滅した・・・つもりの運転手君。ま、いいでしょ。気をつけて運転しなさいよと10ユーロを渡すと「グラッチエ!!」。
ここからはブルースターという大手のフェリー会社の船でギリシャのパトラスという港まで行く。